江戸の昔、尾張藩の武士の間では、内職として鶏を飼うことが広く行われていました。明治維新で禄を失った尾張藩士は、養鶏を本業とするものが多く出て「名古屋のサムライ養鶏」として有名でした。

そうした中、尾張藩士の海部荘平・正秀の兄弟は、

たゆまぬ努力の末当時の中国から入手したバフコーチンと地鶏との

交配種を改良した新種を作り上げました。当時「海部鶏」と呼ばれたこの鶏は、

全国に味のよさが評判となりいつの間にか名古屋から来た鶏ということで

「名古屋コーチン」と呼ばれるようになったのでした。

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